神戸学院大学

法学部

神戸学院大学法学部主催の第29回文化相互理解シンポジウムを開催しました

2025/12/12

講演する古川氏
講演する古川氏
講演を聴く参加者
講演を聴く参加者

法学部は12月8日、第29回文化相互シンポジウム「ザグレブとローマの旅~世界から観た日本の冤罪事件~」を開催しました。
講演者である古川龍樹氏は、イタリアに本部を置く「聖エディティオ共同体」主催『世界宗教者平和の祈り』に招待されました。この会議には、ローマ教皇やベルギー女王、イタリア大統領など各国の要人が参加しました。今回、古川氏は数あるセッションの中でForum Austriacoで開かれた分科会「Justice Does not Kill」にて袴田事件で有名な元死刑囚の巌氏の姉・ひで子氏と共に、日本の冤罪と死刑の現実について訴えました。

本講演では、冒頭でその時のひで子氏の演説の様子が動画で流しました。袴田巌氏は死刑囚として無罪を訴え続けてきましたが、昨年、逮捕から58年ぶりに再審で無罪が確定しました。他方で、古川氏が関わっているのは、戦後の死刑言渡し第一号と言われている強盗殺人事件で、「福岡事件」です。事件で逮捕されたのは実行犯であるとされた石井健治郎氏、殺害を計画し現金を奪いとったとされた西武雄氏です。西氏については、28年間獄中で暮らし、死刑になる直前まで無実を訴えていました。「叫びたし寒満月の割れるほど」という彼の自作の句にその無実が晴れない無念さが表れています。逮捕のきっかけは、戦後の軍服取引で偶発的に起こった殺人事件でした。古川氏の父・泰龍氏は、教誨師として西氏と福岡拘置所で知り合いました。西氏から話を聞くにつれ、この事件は冤罪であるとの意を強くし『真相究明書』を書き上げ再審救済運動に身を投じるようになりました。その活動は泰龍氏亡き後、息子の龍樹氏が引き継ぎ今年で64年目を迎えました。熊本県玉名市にある「生命山シュバイツァー寺」を拠点として現在も続いています。今年は西氏が処刑されて50年の節目の年となりました。

父・泰龍氏は、托鉢をしながら全国をくまなく周り最新救済運動により「福岡事件」を世に知らしめることとなりました。1968年、社会党の神近市子議員が中心となり、占領下で死刑判決を受けた事件(帝銀事件、免田事件、福岡事件など)に限り、再審開始要件を緩やかにする「再審特例法案」が国会に上程されました。しかし、国は「恩赦」での救済を言明しました。1975年6月に石井氏が恩赦で無期懲役に減刑されましたが、他方で西氏は突然処刑されることとなりました。日本の死刑がいかに秘密裡に行われているか象徴するような事件です。

講演の中で古川氏は、再審救済運動の最中に起こった様々なエピソードを紹介しました。宗派を超えて活動をしていた父・泰龍氏は、1980年代に、カトリックと出会いました。世界の貧しい人々の救済活動をしていたNGO聖エディティオ共同体の活動に加わりました。泰龍氏はポーランドのワルシャワで開催された会議に招待されて以降、毎年のように日本の宗教者としてこの活動に参加しました。前のローマ教皇であったヨハネパウロ二世とも4回面会しました。そんな中で出会ったのが映画「デッドマン・ウォーキング」の原作者、シスター・ヘレン・プレジャン氏でした。彼女も泰龍氏と同じ教戒師として死刑廃止の活動を行っていました。彼女は泰龍氏に連絡し日本に来て福岡事件の再審キャンペーンに加わりました。
2005年には、西氏が処刑された後、初めての第6次再審請求(死後再審)を福岡高裁に申し立てました。実は、この再審キャンペーンを支えてくれたのは、神戸学院大学はじめとする学生でした。訴訟記録のデジタル化、模擬裁判、街頭でのキャンペーンなどで運動を盛り上げてくれました。石井氏が亡くなった今、再審を請求できる権利のある人はおらず、法律を改正しないと請求できません。現在、国会で審議される再審法改正に関する議論の中でもこのような問題が取り上げられるべきです。

イタリアでは18世紀に法学者ヴェッカリーアが死刑を廃止する日と宣言した11月30日を「死刑廃止の日」と決め、世界700ほどの都市でこの運動がなされています。イタリアでは、毎年、18世紀ローマの円形闘牛場コロッセオの前でこの運動を行っています。

この会議の開会式で、ローマ教皇がコンスタンティヌスの凱旋門の前で演説しました。ローマ教皇は、「人類は慈しみと共感という言葉を失ってしまった。もう戦争はこりごりだ!(Basta con la guerra !)」と何度も繰り返しました。この会議では、戦争と平和、難民、移民問題、被爆者の苦しみなど人類が共有しなければならない様々なテーマが取り上げられました。

古川氏は、最後にこの世界宗教者の会議に共通するのは「わたしたち一人ひとりが「人の命」という問題にどう向き合うかということだ」、「日本の冤罪事件が世界からこれほど注目されたことは驚きである」と日本との違いを強調し講演を締めくくりました。