ウクライナの最高会議のミハリューク議員が有瀬キャンパスで講義しました
2025/12/25
共通教育科目の授業として企画された「総領事館連携講義」で、ウクライナの最高会議(国会)のハリーナ・ミハイリューク議員(対日友好議員連盟共同会長)が12月24日、有瀬キャンパスで講義しました。ポートアイランド第1キャンパスともオンラインで結んで実施しました。
ミハイリューク議員は元大学教授で法学博士です。本学には国会議員団の団長としてロシアによるウクライナへの軍事侵攻があった2022年の10月にも訪れ、有瀬キャンパスで学生に侵攻から8カ月後の状況を語ってもらいました。今回は12月22日に来日し、東京で政界の要人と面会して戦時下の協力に感謝、引き続き支援を要請した後、神戸に足を延ばしました。
講義に先立ちミハイリューク議員は国際交流センターの岡部芳彦所長の案内で備酒伸彦学長と高山修大学事務局長を表敬訪問しました。ウクライナの客人をもてなす伝統である「パンと塩」の儀式で歓迎し、ウクライナの学生生活などを話題に全員で懇談しました。在神戸ウクライナ名誉領事館インターンで、大学院人間文化学研究科のアンナ・トライノさんが通訳しました。
備酒学長が「あまり余裕のない日本の学生に比べてウクライナの学生気質はどうなのでしょう」と尋ねました。ミハイリューク議員は「個人的な話ですが、私自身は二つの距離の離れた大学に同時に6年間通いました。授業は一つの大学で午前8時から午後2時まであり、20分以内に移動して次の大学で午後3時から8時まで授業が続きました。1分でも遅れると先生に許してもらえません。とても厳しかったですが、学生時代にやりたいことは全部やりました」と答えました。
■日本の人道的、経済的支援に感謝
講義のテーマは「戦争はいかにウクライナの経験を変化させたのか」。大きな拍手に迎えられて登壇したミハイリューク議員は「日本の皆さんの人道的、経済的支援により、何十万人のわが国民を救うことができました。感謝しています」と述べました。
1991年にソ連邦が崩壊し、構成国の一つだったウクライナは独立を達成。「民主主義、主権、平和、グローバルコミュニティーへの参加を意図的に選択した」とミハイリューク議員は独立国家としての最初の決意をこう表現しました。
しかし、2022年2月のロシアによる侵攻で「平和を奪われたウクライナは戦争、不安定、抵抗という新たなリアリティー(現実)に入った」とし、「普通の生活を送っていた街の中にも手足を失った兵士たちがいて、祖国防衛のために戦地へ向かい、生き残ったものの健康を損なった多くの人がいる。ほぼ毎日、ミサイル攻撃があり、劇場、病院、普通の住宅街が狙われている。女性や子どもは一時的に海外にも避難しており、うち一つの避難先が日本。避難者を受け入れてくださり、ウクライナの将来を守ってくれた」と再び感謝の気持ちを伝えました。
自身が所属する国会については、「戦争でリアルタイムでの決定、決議が促進され、かつてない団結、柔軟な対応が可能になった」として、229の法律が軍事攻撃から半年で成立したことを報告しました。戦時でスーツ姿が普通だった議員たちの服装についても「ドレスコードが変わりました」と表現しました。政界での女性の活躍についても強調し、「30%の法律は女性が提案したものです」と述べました。
■避難学生や子どもに温かく接して
質疑応答に移り、学生からは「私たち若い世代にどんな支援ができますか」との質問が出ました。ミハイリューク議員は「避難している学生や子どもに心の支援をお願いします。温かく見守ってください。市民の方々の支援の様子は政治家の支援決定にも影響があります」と答えました。
別の学生は「ロシアによる軍事侵攻は突然始まったのですか。前触れはあったのですか」と尋ねました。ミハイリューク議員は「2014年にロシアがクリミア半島と東部ドネツク州、ルハンスク州の一部を侵略し、軍事支配したことがありました。しかし、私が高校生だった2002年頃にクリミアでキャンプに参加した時にロシアから来た15歳の女の子がクリミアはロシアの領土だと言ったことを記憶しています。ロシアは当時からそんな教育をしていたのです」と答えました。
最後に別の学生が「この戦争はどうしたら終わりますか、ウクライナの国力が尽きる時か、プーチン大統領の寿命が尽きる時か、どう考えますか」と質問しました。ミハイリューク議員は「難しい質問です。市民が戦争への動員を拒むなら徴兵制度が崩れ、終戦を早めるかもしれません。外交交渉だけでは終戦は成立しません」と答えました。





