神戸学院大学

被災地支援活動

令和6年能登半島地震 被災地支援学生ボランティア 第9クール

日時 2025年8月24日(日)~26日(火)2泊3日
場所 石川県能登町ほか被災地
主催 神戸学院大学 災害支援対策本部会議
協力 (株)ぶなの森、神戸学院大学教育後援会、神戸学院大学同窓会
参加者 学生8人、引率2人 計10人
学生所属:法学部2人、経営学部1人、心理学部2人、総合リハビリテーション学部1人、グローバル・コミュニケーション学部1人、薬学部1人
引率所属:共通教育センター1人、学生支援グループ(ボランティア活動支援室)1人
交通 大阪駅~新高岡駅 JR特急&北陸新幹線、現地はワゴン車で移動
宿泊先 8/24・25(2泊)
セミナーハウス山びこ、ぶなの森能登事務所、能登町不動寺公民館

行程

8月24日(日)

時間 内容
15:20 大阪駅集合(中央改札外)アントレマルシェ前
15:40 大阪駅発 サンダーバード31号
17:00 敦賀駅着
17:13 敦賀駅発 北陸新幹線かがやき514号
17:55 金沢駅着
18:12 金沢駅発 北陸新幹線はくたか574号
18:25 新高岡駅着
18:45 能登町へ、ワゴン車で移動
21:30 能登町の宿泊施設到着、宿舎で打合せ、就寝
女性=セミナーハウス山びこ、男性=ぶなの森能登事務所

8月25日(月)

時間 内容
09:15 宿舎出発
10:00 能登町不動寺で活動
24軒の山間集落。コロナ禍、震災、高齢化で、数年間神輿<キリコ>は中断していた。
【活動①】不動寺について、お祭りについて、防災学習会
講師:新谷公民館長
12:00 昼食休憩(昼食は公民館長の奥さんに準備いただいた)
公民館清掃、宿泊準備など
14:00 【活動②】不動寺お祭り参加
神事体験、住民の方と一緒に神輿<キリコ>を担ぐ
集会所でミニ縁日(子ども向け)
18:00 お祭り終了→銭湯(ラブロ恋路)で入浴
19:30 夕食 集会所で地域の方と交流。
(BBQ、お寿司、オードブルなどをご用意いただいた)
22:00 終了、宿舎へ移動、宿舎で打合せ、就寝

8月26日(火)

時間 内容
08:30 宿舎出発
09:00 【活動③】お祭りの片づけ(神輿<キリコ>の分解・収納の手伝いなど)
10:30 不動寺公民館出発
11:00 珠洲市被災地を視察
12:00 昼食@イカの駅つくモール(能登町越坂)
13:00 出発
→途中、公立宇出津総合病院(能登町)に立ち寄る(参加学生の就職予定先)
16:00 新高岡駅到着
16:46 新高岡駅発 北陸新幹線つるぎ37号
車中で、事後研修(心身ケア、活動振り返りなど)、夕食
17:59 敦賀駅着
18:12 敦賀発 サンダーバード38号
19:37 大阪着、解散

活動の様子

8/24(日)大阪で集合し、能登町へ移動

車中でリラックスした様子の学生たち
夕刻に新高岡駅到着
車で能登町へ
ぶなの森事務所(古民家)
男子宿泊
セミナーハウス山びこ
女子宿泊

8/25(月)能登町不動寺でお祭りのお手伝い

  • 能登町不動寺集落について
    不動寺は24軒の小さな山間集落です。近年はコロナ禍、震災、担ぎ手不足の影響で、キリコ(大きな灯籠)は展示のみとなっていました。今回、神戸学院大学の学生の協力により、数年ぶりに担がれる。地域の方々もとても楽しみにされていました。
  • 学生への要望
    公民館長(区長)より「不動寺の子どもたちに、お祭りの楽しさを伝えたい」と相談があり、神戸学院生がミニ縁日を準備した。神戸から、昔懐かしい駄菓子を持参し、縁日のポップも作りました。地域在住の子どもたちは7人で、帰省中のお子さんを含めても10人程度です。
午前は、集落公民館の館長さんから、集落のこと、地震のこと、お祭りのことなどの話がありました。
公民館長さんの話を聞く学生ら
発災時避難所となった体育館
不動寺
地震で鳥居が崩壊していた
集落の風景
午後から、神事、お祭りに参加しました。
厳かに執り行われた神事
学生も「学業成就」をお祈りいただいた
キリコを担ぐ、女子学生も頑張りました
子どもたちは太鼓と鐘を担当
キリコ祭りとは
江戸時代から連綿と続く能登の「キリコ祭り」は、能登一円の住民が参加する大イベントです。 7月から10月の間、各地の氏子たちが、能登固有の意匠をもつ、華麗な風流灯籠「キリコ」を担ぎ出し、町内を勇敢に練り回ります。キリコ祭りは、2015年4月に「灯り舞う半島 能登~熱狂のキリコ祭り~」として、文化庁の「日本遺産」に認定されました。
夜は、集会所で夕食交流会がありました。
用意してもらったBBQを楽しむ学生ら
子どもたちと楽しい時間を過ごしました

8/26(火)お祭り片づけ、視察

キリコ解体の手伝い
津波被害のあった珠洲市に移動し、視察しました
甚大な津波被害のあった珠洲市沿岸部
多くの被災家屋が解体され、更地になっていた
帰りは「イカの駅」に立ち寄って昼食
帰路、参加した薬学部生が就職予定の能登町の病院

参加学生の学び、気づき *事後アンケートから一部抜粋

  • 人と人とのつながりを大切にする地域性、そこから生まれる力に無限の可能性を感じました。特に今回のキリコのお祭りは5年ぶりの開催で不動寺の方たちも楽しみな半分、不安な気持ちも半分だったと思います。被災をしたからなのか、それを感じさせないぐらいの皆さんの一体感で素晴らしいものになったと感じました。その一員になれたことが凄く嬉しいですし、誇りに感じています。
  • 祭りにはさまざまな方の思いがあり、その思いをつなげるきっかけの一つとして祭りに参加することができたのは良かった。自らがキリコを担いで町内を一周し、解体まで手伝うことで、達成感や充実感が生まれた。
  • 地域特有の祭りであるため初めは慣れず、要領が分からなかったが、祭りが始まって行くにつれてペースを掴むことができ、楽しんで取り組むことができた。能登の皆さんの一体感や熱を直に感じることができたのが良かった。この経験を今後に生かせるように考えていきたい。
  • 被災地を見ることで、地域が持つ課題やそれに対して行政がどのようなことをするべきかなどについて、自分の考えを広げることができ、視野を広くすることができた。
  • 瓦礫の山やひび割れた壁、想像していた被災風景というものもありましたが、それ以上に被災者の方の考え方、被災地に対する意識をどのように持つべきか、今まで思っていた部分と大きく変わりました。ボランティアはしてあげるもの、支援する側が与えるものというように考えていましたが、そんなことは無くこちらも多くのことを学ばせていただき、多くの面でサポートして頂き、そして歓迎して頂き、こちら側も[もらうもの]というのは多くあるんだなと気づきました。

    記憶の残る言葉

  • 館長が、「そろそろ被災地では無くさないといけない」と言っておられ、ハッとさせられました。また「被災地じゃなくなると忘れられてしまう不安もある」と言われていたのも印象に残っています。被災地でなくなった未来でも、繋がりが続いていけば良いと思いました。
  • 「被災地にはこういった対応が望ましい」ということを授業などで学んだからといってそれが全てその人にとって最適ではない、こういうパターンの時はどうしよう?今の場合はこうしてみるのもアリなんじゃないか?とさまざまな思考を持ち、視野を広げることが大切だ、という内容を聞いて、将来社会福祉に携わりたい身としてすごく心に響きました。利用者を教科書の事例と似たようなパターンに当てはめることが出来ても、その人特有の事情もあるのだから一概に対応することは出来ないなと思います。だからこそお話にあったように視野を広げて行動出来る人間でありたいなと改めて感じさせられました。
  • 「泣いているばかりいてもしかたない。泣くこともいいけど進まないと。人生は有限なんだから」という言葉をいただきました。私もこの活動で知ったことを家族や友達など身近な人たちにつなぎ、それがまた別の方につながることを願います。
  • 集落の高校生と中学生の兄弟が簡易ベッドの作り方を覚え、全員分作ったこと。また、不登校気味だった高校生がその経験で自信をつけて、学校に行くようになり、ピンチをチャンスに変えることができたことなどのお話を聞きました。

    引率者所感

    今回、地域の方以外が初めて不動寺のキリコを担ぐという、とても貴重な機会に立ち会わせていただきました。私たちが加わることでどのようなサポートにつながるのか不安もありましたが、お話を伺う中で、私たちの参加が、コロナ禍や地震で途絶えていた、不動寺の方々の魂とも言えるキリコの復活につながったことを知ることができました。さらに、それが「学生ボランティア」という形であったからこそ、地域の方々との結びつきを深め、活動の意味をより大きくしたのではないかと感じています。
    実際、神戸学院生らしい素直さと親しみやすさは、キリコの休憩の場面ごとに発揮され、地域の方々との温かな交流に結びついていました。今回の活動を通じて、このような被災地支援のあり方があることを学ぶとともに、学生たちが持つ力の大きさを改めて実感する機会となりました。
    (上谷聡子 共通教育センター教員)