【特集対談】 歴代学部長、大いに語る
―人文学部のこれまでと、これから。フロントライン

左から、伊藤茂教授、清水寛之教授、水本浩典教授、久保田重芳教授
左から、伊藤茂教授、清水寛之教授、水本浩典教授、久保田重芳教授

第三代から現職までの4人の学部長経験者の方々に、学部創設時の産みの苦しみ、これからのあり方など、人文学部の20年を振り返っていただきました。

―前編:1―
人文学部の「これまで」を考える

みんな「うまくいかない」と思っていた

司会
歴代の学部長の先生方にお集まりいただきまして、人文学部のこれまでの足跡を振り返りつつ、未来を展望していただこうと思います。飛行機の操縦にたとえますと、三代目学部長を務められた久保田先生が、離陸して水平飛行に移るまでをご担当なさったことになるのだとすれば、四代目の水本先生以降の先生方は、世間の荒波をいかにしてかいくぐるかという努力をされたのではないかと思います。

久保田教授

久保田教授
そうですね。個人的には、教養部の時代が非常に長く続きました。その後、大塚先生、伊藤先生、植田先生らが着任された頃から、本学の雰囲気が変わってきたと感じました。後から考えますと、それが大きな転換点だったような気がします。その後、水本先生と伊藤先生のお二人が、人文学部を作るために非常にご苦労されるわけですが、当時、人文学部創設なんてほとんど実現不可能だと見ていた人も結構いたわけです。

伊藤教授
できたとしても、いいものはできない、と思われていたみたいでした。

水本教授
でも、ふたを開けてみると意外に偏差値が高かったのです。そもそも、人文学部はエンジンのない学部かもしれません。今まで20年の歴史の中で、全国ブランドでは決してありませんが、地元の学生に対しては一定の評価が定着したのだろうと思います。入って楽しく勉強ができて、就職もちゃんとさせてくれる学部としてという意味で、ですが。入試にしても、合格したら来てくれます。

伊藤教授
播磨地区には他にライバル校がありませんから、地元からの入学者の満足度は高いと思います。

「教育ありき」の認識が多くの先生方に浸透

司会
土台が教養部ということもあり、さまざまな分野の先生方がおられたのですが、先生方を新学部でどう配置するかという問題でもご苦労があったと思います。

水本教授
何を担当していただこうかと考えていたら、バイオリンを弾こうかとおっしゃっていた先生もおられました(笑)。

久保田教授
教養部は、組織として非常にうまく言っていたように思いますね。さまざまな分野の先生方と交流できて、これは私にとってもとてもありがたい財産でした。ただ、人文学部が開設された際、教養部をどうするか、というのはとても大きな問題であり、対外的なプレッシャーは大変なものでした。

清水教授
私が学部に着任した1994年は、初めて卒業生を出した完成年度で、大学院ができた年でした。この大学は高名な先生方を数多く集め、新しい学部を作るということはこういうことなのかと感心させられました。教養部の雰囲気はまだかなり残っていて、入試も含めて教養部の仕事らしきものも多くあったような気がします。

久保田教授
結局、教養部は国立大学のカリキュラムを雛形にしていたので、カリキュラムの上ではかなりしっかりとしたものを導入していたのです。語学もそうでした。

水本教授

水本教授
入試についても、当時、国立大学は英語の足切りをしていたので、それを踏襲していたのです。ただ、見ていればわかるのですが、教養部時代の先生は、一生懸命教育をしておられました。三つ子の魂百までではありませんが、人文学部ができあがってから着任された先生方と比べても、本務は教育であるという確信は、教養部からの先生方の方がお持ちのように見えます。

久保田教授
それは、今でも人文学部の基本になっているのではないでしょうか。まず教育であり、その上に学部がある、という「教育ありき」の認識が多くの先生に浸透しているのではないでしょうか。そうした、先生方の熱い気持ちというのが、学生たちにも伝わっていた時期がずっと続いていましたが、今は、それが少し変わってきたように思います。

伊藤教授
個人的な実感としては、学生との年が離れてしまったというのも大きいような気がします。

水本教授
60歳にもなれば、学生からすればもうおじいちゃんですから。この夏休みに学生から、赤いちゃんちゃんこは恥ずかしいだろうからと、赤い靴下をもらいました(笑)。

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“おもしろがる”人物図鑑/教員編-1
私と人文学部

幅広い学問領域と個性的な教員との出会いが
人生を豊かにしてくれる学部

人文学部人文学科
五十嵐 真子 教授

人文学部人文学科 五十嵐 真子 教授

私が人文学部に着任したのは、人文学部が10周年を迎えたちょうど10年前の2000年のことです。それまでは、愛知県犬山市にある博物館で学芸員をしていました。着任当初は人間行動学科の所属で、学科は環境学、教育学、心理学、社会学、そして人類学で構成されていました。当時は少年犯罪が多発したという背景もあるのか、心理学を学びたいという学生が圧倒的に多く、どうすれば彼らが人類学に興味を持ってくれるのか試行錯誤しながら授業をしていました。現在私が所属している人文学科には、人類学のほかに芸術や歴史などさまざまな分野が学べるという構成になっています。バラエティ豊かな分野の中から、人類学により興味を持ってもらうための工夫を模索している段階です。人文学部の学生の多くは、おおらかで素直、好奇心旺盛です。この気質は私が着任した10年前から変わっていません。教員が何かのきっかけを与えてあげれば、自主的にまとまって何かをつくりあげることができる可能性を秘めています。人文学科には他大学に比べ、学べる分野も非常にバラエティに富んでいるので、彼らのような気質であれば有意義な4年間を過ごせる学部だと思います。さらに言えば、集う学生以上に、教員も非常にユニークです。そうした先生方とのふれ合いも、その後の人生を豊かにするエッセンスとなってくれると信じています。

“おもしろがる”人物図鑑/教員編-2
私と人文学部

オープンでサポーティブな雰囲気のなかで
他の教員や学生とともに向上したい

人文学部人間心理学科
山本 恭子 講師

人文学部人間心理学科 山本 恭子 講師

一般的に、言葉での表現より、ジェスチャーや表情といった非言語的な表現の方が、相手に感情を伝えやすいと言われています。私は大学院時代から現在まで、対人関係の親密さの違いによって生じる、そうした非言語的な表現の変化から、心の動きを解明する研究を行っています。私の場合、人文学部の教員になったのは2009年4月からですが、私がこれまで勤務してきた大学と比べても専門とする領域が広いのが特徴だと思います。特に、脳の機能から心理的な要因を探るような研究をしている「医療心理学領域」などは、他の心理学系の研究機関にはあまりない分野だと思います。実際に病院,鑑別所,企業などで心理職として勤務した経験を持つ教員も在籍しており、実務経験の豊かな人材が揃っているのも特徴です。こうした、さまざまな分野の先生方と交流できるのは、私自身の研究にとっても非常に刺激になっていると思います。また、人間心理学科の教員は学生に対して非常にオープンでサポーティブです。教員全員で学生を支えていこうという気風があります。この恵まれた環境を活かして、異なる専門領域の先生方と連携し、学生とも協力し合いながら、研究者としてあるいは教員として、新たな展開を図っていきたいと考えています。

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