―前編:2― 人文学部の「これまで」を考えるフロントライン

もう一歩“飛べない”学生が増えてきた

司会
学生気質の変化で、何か気づかれていることはありますか。
伊藤教授
ちょっと、おとなしくなってきているという気がします。もともと播磨地方の学生はおとなしい気質ですが、もう少し「やんちゃ」な学生も入れて、おとなしい学生との触媒みたいになってくれればよいと思うのですが。
久保田教授
対人関係においておとなしい学生たちを、活性化していく必要があると思います。
清水教授
清水教授
人間心理学科では、今までずっと「社会参加する心理学」というのをテーマに、とにかく学生を学外に出すということを実行してきました。人間心理学科では、1、2年次生で外部に出すための準備をし、3年次生になれば保育園で子どもたちやお母さんに会い、福祉施設や病院でお年寄りや患者さんに会うといった実習系の科目が豊富に設置されています。実習をするようになると、学生の対人関係はうまくいくようになります。
水本教授
一方で、最終面接まで行くのですが、どうしても内定が取れないといった学生がいます。彼らはこれが最後だと思うので、かえって萎縮して「やんちゃ」ができない。もう一歩のところで飛べないのです。企業にとっては、ただ真面目というよりも、いざというときに飛べる学生も魅力なのだと思います。そうした気質は、汗をかいて、外回りの営業もできてといったところにつながっていくからです。
伊藤教授
ただ、そうした資質で選ばれて就職すると、業務のなかでつぶされてしまうこともあるので、難しいところです。
清水教授

学生気質の変化ということで言えば、手に職をつけるという学部ではないのにもかかわらず、資格志向が高まりました。バブル経済がはじけてから、就職には資格が必要みたいな流れは、日本全体の傾向です。大学出てから専門学校に行く人が増え、大学でどんな資格が取れるのかに関心が向けられてきました。

水本教授
資格講座を勉強しようと思うと、ポートアイランドキャンパスにも通わなくてはなりません。だからなのか、遅い時間でもバス停にたくさんの学生が並んでいるのをよく見かけるようになりました。
清水教授
資格取得を目指すことで、自分に自信をつけるのは決して悪いことではないと思います。ただ、そうした気持ちを持つことと、職業意識であったり、今後どんな人生が送りたいかということとは、少し意味が違うのではないかと思います。
水本教授
資格だけ取っていれば安心だと思っている学生が増えてきているということかもしれません。

リベラルアーツ再評価と学士力

司会
この20年を振り返ってみると、大学政策としてもいくつかの大きな波がありました。
伊藤教授
日本の大学はかつて、専門教育と教養教育とを一緒にしてしまいました。しかし、教養教育をおろそかにして学部の専門教育に力を注いでみたけれど、結局うまくいきませんでした。そこで、再び教養部を再評価する動きが出てきています。
司会
最近、文部科学省が大学に要求している「学士力」の向上といったことでしょうか。
伊藤教授
文部科学省が考える学士力とは、旧制高校と同じレベルの教養や常識は大学で教えてほしい、ということ。以前は、それ以上のことを学ぶために大学に上っていましたが、今は大学院で教育してほしいというイメージでしょう。学士力の実態は、教養教育重視に近いものだと考えています。
水本教授
人文学部が当初から実施してきたようなことを、国が全国的にもやってほしいと言っていると考えてよいのではないでしょうか。国公立大学でも、教養教育から始まっているところは、京大にせよ九大にせよ、府立大のようなところでも、どんなに名前が変わっても、教養、教養と言い続けています。人文学部は、教養教育と言い続けなければならない意味とは何かを背負いながら、ずっと手づくりで教育をやってきた学部です。
伊藤教授
伊藤教授
心理、行動、文化といった領域の幅広さみたいなものが、学生たちに自然と身についている状態というのが、学士力だと思います。最近、中教審の方針から、本学でも教育開発センターを開設し、さまざまな教育モデルが提出されています。しかし、そのほとんどは、人文学部で今まで、大なり小なりこなしてきたものが多いと感じます。卒業試験が必要だと言われても、人文学部では卒業論文をずっと学生に課しているのだからあわてる必要はありません。AO入試の見直しにしても、人文学部のAO入試は、導入以来、受験生が非常に苦労するような非常に手間のかかる書類を書かせています。
水本教授
単に、ペーパーテストで点がいいだけ、という人物でない学生も入学して来ています。
伊藤教授
そうしたことをいろいろ考え合わせると、人文学部はすでにきちんとした制度を導入しているのではないかと思います。
清水教授
私のなかでは、リベラルアーツ重視とゆとりの問題が結びついています。オウム真理教の事件があった頃、1995年頃でしょうか。大学は専門ばかをつくっては駄目、やはり教養教育をきちんとしないといけないという動きが出てきました。そのあたりから、改組やファカルティ・ディベロップメントなど、矢継ぎばやに改革があり、教員も学生もともにずいぶん戸惑いや苦労があったと思います。
水本教授
最初にファカルティ・ディベロップメントという言葉を聞いたときは、なんだそれはと思いました。昔は、ハチャメチャな先生の背中を見ておれば学生は育つというような教員でも偉いと思われていましたが、それではだめだと文部科学省が教員の授業に注文をつけるようになった。その最初だろうと思います。
伊藤教授
今では、学生が、教員のよさを感じ取れなくなったのか、教員のオーラがだんだんと薄れてきているのかといったことを感じます。
水本教授
両方だと思いますが、教員に権威がなくなったのは大きいのではないでしょうか。
伊藤教授
カリスマ性みたいなものがなくなりました。
久保田教授
学生の側に近づけば近づくほど、そういった敷居がなくなっていくのでしょう。ただ、教員も学生も同じレベルで考えるというような関係も、現在では必要なのでしょう。

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“おもしろがる”人物図鑑/卒業生編
私と人文学部

さまざまな経験や助言を通して
人生の重要な節目となった人文学部に感謝

島根大学教育学部 心理・発達臨床講座
石野 陽子 講師 (1996年人文学部卒業)

島根大学教育学部 心理・発達臨床講座 石野 陽子 講師 (1996年人文学部卒業)

高校時代、哲学の先生から教えていただき、心理学という学問があることを初めて知りました。その頃は今ほど注目されている学問ではありませんでしたが、その先生が「必ず社会が必要とするときが来る」と断言なさいました。この一言に触発されて、大学でしか学べない心理学、特にカウンセリングの仕事に興味を持ち、心理学を学ぶことができる人文学部へ入学しました。その後、大学院へ進学し、子育てをする母親の心理についての調査研究を続けていました。当時の指導教員であった生澤雅夫教授から「実際に母子が接する場へ足を運びなさい」と助言され、母子教室でボランティアをはじめるようになりました。やがて、カウンセリングよりも研究そのものにひかれ、さらに進学し博士号を取得しました。現在は、島根大学および同大学院において発達心理学の講義や心理学実験実習などを担当しています。

思えば、私がまだ学部生だった頃、清水寛之教授の「好きなことをただひたすらすればいい」という言葉に大きく揺さぶられた気がします。この言葉によって、今自分がしたいことは何か、将来どうなりたいのか、好きなことを続けるとはどういうことなのか、自分自身について深く考え、自分の殻を破り一歩前へ踏み出すことができました。今振り返れば、私にとって人文学部とは、自分とはどういう者か、そしてどのようにして人生を歩んでいけばよいのかを考えさせてくれた場だと思っています。

大学というところは実に様々な価値観をもった人であふれています。私自身もそうでしたが、きっと戸惑うことも多いと思います。しかし、自分が興味あることをし、心豊かに過ごしていれば、少しずつ仲間ができます。また神戸学院大学にはあたたかく受け入れて下さる先生方がおられます。学生さんの中にはもしかすると、入学後描いていた将来像ではなかったと思っている人もいるかもしれません。しかしそんな人こそ、是非多くのことに挑戦して下さい。嘆くより、足を運んで色々な立場の人と出会い、様々な刺激を受け、自分が何をしていたら心豊かに過ごせるか、どうすれば周りとうまく関わり合えるか、どうか歩きながら考えて下さい。もしも探し歩くことが難しければ、仮に関心がなくても、まずは目の前のことにじっくり取り組んでみて下さい。好きなことでなければ無駄に過ごしているだけ、遠回りをしているだけと思うかもしれません。けれども、考えているだけで毎日を漫然と過ごすよりも、ずっと何かが得られるはずです。悩みながらの経験は、いつか必ず支えになってくれます。今在学している皆さんも、あるいはこれから進学する方も、ぜひ神戸学院大学で、たくさんの経験を積んでください。

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