大学生活入門2021
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今では、女性が職業を持つことや、結婚してからも働くことは、何も珍しいことではありませんが、明治の時代にそのような決意をされたことは、驚くべきことでした。初めて女性に国政の参政権(選挙権)が与えられたのは、1945年(昭和20年)のことなので、とても進んだ考え方であったと思われます。8さらに、わさ先生は子どもたちの将来のことも考えて、■■■■年(明治■■年)に、淡路の田畑を処分して発展著しい神戸に移り住むことにしました。神戸の学校で教師として働きながらもわさ先生は常に努力を続け、教師としての適性もあったようで、勤務していた学校において主席教員、校長代理へと就任していきました。そのことに満足せず、わさ先生はさらに、自分の理想の教育を実践することを目指していたようです。■人の娘が結婚し、末っ子の茂樹が旧制高等学校に進学する年齢になったことを区切りとして、今までの勤めを辞めて、自身の学校「私立森裁縫女学校」を開設しました。■■■■年(明治■■年)■月■■日のことでした。この学校が学校法人神戸学院の原点です。現在の兵庫区五宮町に開設された「私立森裁縫女学校」は、たった■人の生徒から始まりました。その学校でわさ先生は、裁縫の技能を教えるだけでなく、精神的な陶冶を求める教育を実践し、その方針は広く世間にも受け入れられました。たった■人で始まった学校ですが、すぐに遠方からも生徒が集まるようになりました。長女の登志得は、勤めていた高等小学校を退職し、わさ先生の学校で教員として母を支えるようになりました。登志得の夫の山西助一は、専務理事として学校の運営に携わり、経営面を支えました。その当時の時代の要請もあり、森裁縫女学校は順調に規模を拡大し、■年制の高等女学校へと発展していきました。■■■■年■月森裁縫女学校校門前でとうや

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