大学生活入門2021
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長男の茂樹先生は、■■■■年(明治■■年)に岡山の第六高等学校に進学しました。旧制高等学校は、今の高等学校とは異なり数も少なく、卒業後はほとんどの学生が帝国大学へ進学し、様々な分野における指導者となるための第一歩を踏み出すための学校でした。茂樹先生は第六高等学校に入学後、寮生活を始めました。ここで茂樹先生は、その後の生涯の友となる井上硬や菊池武彦と出会い、一緒に学び、生活を共にしました。茂樹先生たちは夜通し語り合うことも多かったそうです。そして卒業後は、ともに京都帝国大学の医学部に進学しています。自分を厳しく律し、理想を求める母の姿を見て育った茂樹先生は、母と同じように、高い理想を持ち努力を続けたのだと思います。卒業後も医学部の病理学教室に残り、研究と教育に携わっています。その頃茂樹先生は生体染色の研究をしていました。■■■■年(大正■■年)には脂肪染色に関する研究で日本病理学会から第■回ウィルヒョウ記念賞を受賞しました。■■■■年(大正■■年)■月に熊本医科大学の教授に任ぜられ、熊本に移りました。■■■■年(昭和■年)■月から欧米に■年間留学し、ベルリン大学、プラハ大学において、主に内分泌学の研究を試みました。帰国後の■■■■年(昭和■年)には、日本内分泌学会において「卵巣ホルモンと交尾期循環」という演題で講演を行い、内分泌学の分野に新風を吹き込んだそうです。その後は体質学の分野で研究を深め、■■■■年(昭和■■年)には茂樹先生の立案により熊本医科大学に「体質医学研究所」を設立しています。第六高等学校の授業風景【山本弘子さま(森先生の三女)提供】六高時代の茂樹先生京都帝国大学時代の茂樹先生9大学生活入門【第六高等学校同窓会本部提供】

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