2007年8・9月

◆(神戸ポートアイランド4大学開学記念)神戸学院大学開設記念講演会
「神戸から世界を見る」が開催
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6月23日、神戸夙川学院大学、神戸女子大学・神戸女子短期大学、兵庫医療大学と神戸学院大学の4大学連合による開学記念講演会が開催され、本学法学部の谷口弘行教授が講演会を行いました。当日は、一般の方から学生の皆さんまで幅広い聴衆にお越しいただき、盛況のうちに幕を閉じました。 |
アジア諸国と日本とは
そもそも、私たちの持っている外国観というのは、従来は明治時代、遣隋使・遣唐使以来と言っていいかもしれませんが、外国に目標となるモデルを求め続けてきました。明治の時代は欧米諸国、第2次世界大戦後はアメリカを中心とした欧米から、たくさんのものを得ようとしました。しかし、明治以来、特に昭和に入ってからは、日本は朝鮮半島を植民地支配し、中国に対して戦争を起こす立場になったことが、負の財産となって今の私たちに大きくのしかかっています。したがってどちらにしても、外国に対しては常に受身の姿勢をとらざるを得ず、外国のあり方に対して日本はどう考えるかという意見をなかなか言えない状況を作ってきたのだと思います。先に述べた日本の学生の発言が少ないのも、その延長上にあるのではないかと思っています。 神戸学院大学アジア太平洋研究センター主催で、日中韓3国共通の教科書の編纂にかかわった人々を中心に3国の研究者を招き、昨年の11月本学でシンポジュームを開催しました。引き続きポートアイランドのホテルでも、一般の方々も招いて公開フォーラムを開催しました。中国に、社会科学院という研究機関があります。それは、政府の政策立案のためのシンクタンクでもあります。その社会科学院の中の一つの研究所の所長さんも、今回参加してくれました。彼はシンポジウムの冒頭に、「日本人が歴史認識を正しく改めたら、100パーセント日中間の諸問題は解決する」と言いました。すると、その時出席していた中国の若い研究者たちは、その所長さんの発言の後は何も言えなくしまったのです。彼らの報告の冒頭には、みんな所長さんと同じようなことを言わざるを得なくなりました。公開フォーラムでも、その所長さんは中国の世論調査を引用しながら、同様のことを言いました。そうすると、聴衆の中の年配の方が質問に立って、「私はそんな話を聞きにここにきたのじゃない。そんなことは日本の新聞に書かれていることだ。互いの議論を聞きたいのだ」と言われました。すると、その所長さんが、「いや、安心しなさい。中国国内には違った意見もあります。」と言って、別の世論調査の数字を紹介されました。しかしそれは、質問の意図には必ずしも答えたものではありませんでした。 こうした倫理的とも言える「高み」から、ものを言うスタイルは、特に1970年代に日中の交流が始まった頃から、常に日中韓に見られる光景です。私たちは確かに、植民地支配や戦争責任の加害者としての、歴史的判定は受けるべきです。しかし、加害者は倫理的に道徳的に低くて、被害者は常に倫理的に「高み」に立てるというのはどうでしょうか。いつも、客観的と称している問題には、常に検証が必要です。そのプロセスで、実はより客観的という事実が出てくるのだと思います。日本人は戦争の歴史を反省した上で、同時に自分たちの立場も主張すればいいのではないかと思っています。主張し合うことで、新たな事実や3国間の形が見えてくるかもしれません。 中国や韓国の人たちが日本を考え批判をする場合、1931年から45年までの15年間の出来事に起因しています。1931年は、満州事変が始まった年です。1945年までの15年間に、われわれの先人は取り返しのつかないことをしてしまいました。ところが、われわれ国民は、今生きている人間のほとんどは、その後の1945年から2007年までの約60年間の歴史を造ってきました。ここでは、日本は一度も戦争をしたことがありません。しかもODA(政府開発援助)にはトータルすれば、多分賠償も含めて日本が世界で最も多額のお金を支払ってきました。ただ日本には約1億3千万人がおり、言論も比較的に自由ですから、国民の発言をコントロールすることはできません。戦争を肯定する人もいるでしょう。そういう意味でも、やはり、過去の15年と62年の両方を歴史として考える見方を、われわれは、特に若い人にはしてほしいと思います。 日本の立ち位置を外から見て
日本を知るために、最近非常に分かりやすい事例がありますので紹介します。2007年3月、今年ですが、BBC(英国放送協会)が国際世論調査を実施しました。2005年から足かけ3年間で細かいデータを収集して、その結果を発表しました。その内容は、世界にポジティブ・インフルエンスを与えている国はどこか、つまりよい意味で世界に影響を与えている国はどこかという調査でした。それは、国の好感度を訊くという意味合いを持つ質問でした。対象となる国は、EUも含めて13カ国です。その中の主な国は、アメリカ、フランス、イギリス、日本、中国、インド、ロシアなどの他、今紛争下にあるイスラエルやイラク、それから途上国のベネズエラも入っています。こういった13カ国についてどう思いますかという質問を、27カ国約3万人に聞いています。この27カ国の中には中国や韓国が、入っています。調査の結果、ポジティブ度つまり好感度が一番高かったのは、平均54%の日本とカナダでした。日本が世界にいい影響を与えている、言い換えると日本への好感度は、インドネシアなどでは85パーセント近くになっています。中国や韓国は、当然極端に低くそれぞれ18と31パーセントです。逆に両国の日本への否定的な評価が、それぞれ63と58パーセントあって、彼らにとって日本はネガティブ・イメージの1位です。世界での日本の好感度イメージ1位は、このような中国と韓国の極端に低い評価を含んだ平均値です。 この結果を見ると、中国と韓国は、主として1930年から45年の歴史から日本のイメージを造っているのでしょう。一方、この2カ国を除く世界は、1945年から2007年までの歴史で日本を見ています。日本の好感度の理由で一番大きいのは、戦争を仕掛けたことがないこと。60年間戦争をしたことのない国というのは、先進国の中では考えられないです。それから、工業が壊滅的になったのに奇跡的に蘇ったということ。GDPでは、1980年代にはソ連を追い抜きました。これは奇跡だというわけです。最近では、日本の文学だとかアニメとかも世界中に行き渡っています。こうして考えると、世界に映るわれわれの姿は非常にポジティブであることが分かります。 見る相手が変わるというより、どこを見るかによって見方が変わるのだということです。2001年9月11日、アメリカでいわゆる同時多発テロが起きました。それによって世の中が変わったという人がいますが、これはテロに対する見方が変わったのです。見方が変わったから政策が変わり、だから世の中が変わったのです。見方が変わったのが先です。もちろん、歴史に“if”はありませんが、もしあのときブッシュではなくゴアが米国大統領になっていたら、今のイラクや世界に対する見方は違ったのではないかと思われます。われわれは、人から与えられた見方以外にさまざまな見方をすることが、可能で必要なのではないでしょうか。人間社会は常に変化し、必ず新しい動きが現れ、新しい課題も生まれます。そうした課題を乗り越えようとするとき、初めて何か新しいものが生まれると思います。このような動きの中で、従来と異なる見方つまり神戸や日本の視点から考えていこうということを、申し上げたいのです。 アジアの発展を導き少子高齢化を お話ししたいことの第二の問題は、歴史のダイナミズムの基底にあり、その歴史を動かしている動因についてです。歴史の必然とも言えるものです。戦後日本という国の最大の特徴を非常に単純化しますと、1960年代頃からの高度経済成長です。高度経済成長を、わずか30年でやり遂げました。30年を一世代と言いますから、たった一世代で日本は高度経済成長を達成したことになります。私たち日本人は、飢えの恐怖を短い期間で克服しました。これは日本の歴史上、人類史上でも初めてだろうと思います。戦前、戦後を見ましても、今の中国や韓国と違って、日本はほとんど外国資本を入れていません。そうして実現した高度経済成長は、世界では当初、例外的だと思われていました。しかし1980年代になっても、依然経済成長は続きました。この頃から、日本はジャパン・アズ・ナンバーワンと言われ始めました。日本が間もなく米国に追いつくだろう、世界一になるだろうと言われて、世界中がやっかみと恐れと羨望のまなざしで日本を見た時代が80年代でした。米国の国技と言われた自動車産業が浸食され始めた頃、そんな日本の進出を何とか押さえろということで始まったのが日米構造改革への動きでした。
ところが、日本の経済成長は1970年代、80年代にアジア諸国の経済へと引き継がれていきます。日本がアジアに、資本と技術を移転していったからです。かつての戦後の日本と米国の関係が、ちょうど日本とNIES諸国、つまり、韓国をはじめ香港、台湾、シンガポールといった国々との関係になったのです。1965年に日本が韓国と国交回復をする際、さらに1997年、アジアの通貨危機の時に韓国経済が壊滅的になったとき、韓国に対して日本は多額の資金を支援しました。このことに関しても韓国の財界人たちは、みんな分かっていて恩義に感じています。だから、日本は韓国ともう少し穏やかに接してくれというのが、彼らの本音なのです。こうして日本から始まり、韓国をはじめとするNIES諸国が同じように豊かになり、あたかも雁が渡りをするようにつながっていきます。これを雁行型といいます。当時、それは「アジアの奇跡」と呼ばれました。その後中国がその経済成長の波に参画し、それが1990年代に続いていきました。日本は、90年代以降その経済はバブル化し、それが破綻しました。非常に不景気になり、10年間、不況の時代に入ります。一方では、アジア諸国は経済成長を続けます。 かつて先進国と後進国とは、必ず搾取と被搾取の関係だといわれていました。ですからその関係を断ち切り、自国だけで経済を運営しようという動きがありました。1960年代から70年代にかけての中国の文化大革命のときや、同時期のカンボジアやミャンマーもそうでした。しかし、結局他国とつながりを持たないと、経済的には立ち行かないことが分かりました。現在の情報革命の下では、生産を一国では行わず、たとえば日本は生産地をマレーシアや中国などに分散することができます。日本だけではなくて、アジア全体のネットワークを考えて一つのものを作り、そして流通させるのが、最も生産性が高くなります。従来の南北間分業や北北間分業、言い換えると垂直分業や水平分業ではなく、地域内で最適生産拠点を分散配置してできた生産工程で製造する地域内分業の発展です。その結果は、すべての国に利益をもたらす形になると考えられています。それは、即ちアジア地域のグローバル化につながっています。日本とアジアの経済的つながりが、アジアのグローバル化を進展させたといえます。その過程でアジアの国々は、事実、経済成長をしてきました。 日本の高度経済成長は、一方では少子高齢化社会を生み出しました。成長と少子化の関係は、歴史の経験法則です。貧しい時代は子どもは多いものですが、豊かになりますと、子どもに面倒を見てもらう必要がなくなると考えたり、同時に子供にはたいへんな金がかかるということになります。そういうことで、出生率がどんどん落ちてきます。日本では、1.26人までになりました。もっとも昨年は1.32まで回復しました。しかしこのままだと、日本は2100年頃には、今の人口が半分くらいになるだろうと言われています。ただわれわれ日本人は少子化が大変な問題だと言っていますが、一方では世界人口は今、1年間に約8,000万人づつ増えています。その人口増加の方が問題です。 高齢化に関して考えてみましよう。日本の平均寿命は、戦後50歳くらいでした。ある企業の社史によりますと、平均寿命が50歳だから、定年は55歳でいいだろうと考え設定したと書かれてあります。それでいくと、今は平均寿命が約80歳ですから、定年は85歳ということになります。経済的に豊かになった社会には、高齢化社会がやってきます。しかし見方を変えれば、それは死の恐怖からの脱却であり、長寿社会の実現です。高度経済成長がもたらしたいまひとつが、中間層の拡大です。1990年代の日本人の90パーセントが、自らを中間層と見なしていました。ところが90年代以降、グローバル化のもとで競争原理つまり市場主義を推進するために、橋本内閣と小泉内閣が構造改革政策を行い、規制緩和政策をすすめて行きました。その結果、格差社会といわれる現象が生まれてきました。これも、今日本が直面している大きな課題です。この歴史のダイナミズムから生まれたものを、乗こえる努力が必要です。 大学教育を地域に開かれたものとし 結論となる第三の話題は、神戸やここポートアイランドにおいて、この歴史の動因を活用・発展させ、新しい未来を構想できないかということです。戦後日本の教育界で、避けてきたものがいくつかあります。その中に、政治教育と宗教教育があります。ドイツの大学では、いま政治教育が非常に盛んです。政治をどういう風に議論して、どの様に政治を判断するかという教育が必要だと考えられています。また宗教とはこういうものだということを知らないから、超能力的な宗教に進むのだとも考えられます。教育や学習の原点は、自分が将来自立するためのものであり、そのために宗教や政治教育を含めた教養教育や、専門教育に立ち返ろうというのが現代の高等教育の改革です。そういう意味では、大学が「教授共同体」という古い形から、身近な社会とつながりをもつ社会共同体、地域共同体の一つと考える必要があると思います。これからは高齢者の方々が、たくさん社会に出てきます。そこで、大学教育を生涯教育の場にし、若者とシニアが共に学べる場にする必要があります。これを、「過去と未来の同盟」と呼んでいます。若者とシニアは一見離れた存在ですけれども、どちらも組織に属さない者同士だという共通点があります。
団塊の世代と言われる人々は、戦後の1947年頃から始まったベビーブームで生まれた人々で、ちょうど60年経った2007年の今年から大量に定年退職をしていきます。そのうち8割の人は、健康で自由に活動でき、仕事も続けられるということです。そこから若者とシニアの組み合わせということが、社会ではなかなかできなくても、大学ではできるのではないかと考えています。大学へ教えにくるシニアもいるし、大学で学ぶシニアもいるように、さまざまな形で両者を組み合わすことができないだろうかと思います。それによって若者とシニアがそれぞれ抱えている問題を、一緒に考えるステップができてこないかと思います。「過去からの挑戦」と「未来への挑戦」の組み合わせです。 「若者は改革を、老人は革命を考える」という、フランスの諺があります。若者は一途です。明日を、何とか良くしようと考える。一方で、老人は、 “死ぬ”視点から人生を見ているのです。これはどういうことかと言いますと、死というと消極的に聞こえますが、死から考えると物事の見方は完全に逆転するということです。今まで命をかけてきたものがどうでもよくなり、人生や人間にはもっと大事なものがあると考えるようになります。“死ぬ”から見ると人生の全体像が見えて、単なる進歩とか対立といったものの見方でない視点が生まれます。それが、若者は改革を考え老人は革命を考えるということの意味です。そういった点から、シニアの方々は、私も充分シニアですけれども、他の誰かに何かしてほしいという気持ちではないのです。そうでなくて、何かをしたいのだということが分かってくると思います。 教育の現場で今話題になっているのが、認識形成力ということです。現状を認識して、自分の経験したことのない未来をどれだけ構想できるかということです。それが今後、教育の現場での焦点になってくると思います。韓国や中国の若手の研究者で、過去を継承してはいくが、歴史の一こまだけを捉えてそこだけの論争をするのではなく、歴史教育を通じて新しい将来を創造できないかと考える動きがあります。中国の若い人の中でも、日本は「中国に対して100パーセント悪いこと」を過去にはしたけれども、広島や長崎で原爆が落とされて甚大な被害にあった。でも、反米には向かわなかった。そうした姿勢で、われわれも日本と共存できないだろうかというグループもあります。米国の教科書ではほとんどが、原爆を落としたことを肯定しています。しかし、こうした歴史認識の違いにもかかわらず、日本はアメリカと価値を共有し、良い関係を築いています。そういう歴史の創造力というものを、共に作ろうじゃないかという主張です。過去を振り返り分析だけで終わるのが、歴史家の仕事ではないのであって、実際に歴史認識力、認識形成力というものをつくる教育が、新しい社会を造っていくための歴史家の任務だと思います。神戸の話に戻りますが、それでは、この人工的な新しい街で何ができるかを考えたいと思います。 皆さんの中にはこのポートアイランドにお住まいの方が多いと思いますが、ここは1981年から25、6年たった人工島です。交通機関や医療機関など都市開発の機能を備えていますが、人口が少しずつ減ってきています。市も認めているように、人間の営みに必要なハードやソフトがいまひとつ栄えていないという現状があります。しかも、高齢者のパーセテージがどんどん増えてきています。そこに4大学ができたことで、8千人くらいがプラスされ、通学者もいますが、やがて1万人近い人々が住むようになります。それはポートアイランドの活性化を図る上での、一つのチャンスではないかと思います。神戸学院大学の新しい試みの一つは、学部単位の教育ではなく社会問題に密着したテーマを学生に教え、そうしたことに関心のある学生を育てる教育を実施するため、学部の枠を超えた学際教育機構というものをつくりました。このポートアイランドの住民の方々と一緒に、何か新しいことができないだろうかと考えています。 大学と新しいコミュニティーの創造、という具体的な話に入ります。大学が社会人との連携事業へ参画することが考えられます。例えば、「大学コンソーシアムひょうご神戸」という大学連合のような組織が神戸にあります。一緒に社会と連携する活動をやろうというものです。大学公開講座という「点」だけではなく、点から線にしていこう、さらには面にしていこうというわけです。それから、シニアカレッジというのがいまひとつの構想です。米国のセントラルフロリダ大学では、シニアの人が住む家がキャンパスの中にあり、学生として大学に通っています。こうした、カレッジイン型コミュニティーという動きがアメリカで始まっています。こうした形は、これから日本でも増えてくるのではないでしょうか。それからシニア・サマーカレッジというのが旧国立系の大学で始まっています。経済的な問題で塾に通えない子どもたちを、大学でサポートする教育ネットワークという動きもがあります。ポートアイランドに「海の森」という提案があります。ポートアイランドに植林をして、海の中の森にしようという提案です。それから介護にしても、大学はさまざまな地域連携ができると思うのです。本学にも総合リハビリテーション学部があり、介護に強い社会福祉の学科があります。学びの中で、地域の介護活動を実施できると思います。地域で一番やってほしいことが、今の自分たちでやるべきことです。 知の共同体、知の構造体という考え方が、最近強調されます。最初は思いつきでもいい、いろいろな形のアイディアや考えを、みんなで話し合って連携させながら、みんなが参画できるものを作っていくことを言っています。それこそが、構造改革だと思います。大学もそうした試みに、参画できるのではないでしょうか。それが、この新しいキャンパス設立のテーマ、都市共生型の一歩ではないかと考えます。 利益を上げながら社会貢献も行う グローバリズムが生み出す競争社会の次にくるのが、競争と共生の社会だと考えられます。競争から生まれる物の豊かさと共生による人と人との関係の豊かさを、つなげようとする動きです。その過程で、社会資本の充実という考え方が出てきます。従来社会資本とは、公園とか道路とかを意味していました。しかしここ10年から20年にかけてヨーロッパで見られる傾向ですが、地域社会における人間の信頼関係、相互関係など新しい形のネットワークを作っていこうとする動きがあります。これを「社会資本」と言います。「見えざる社会資本」とも言えます。アメリカのオレゴン州に、ポートランドというところがあります。ここでは、シニアたちが近隣組合を作って、施設に入るのではなくて、在宅で協力しながら生きていこうという試みが実施されています。非常に古い歴史をもつイタリアのボローニャ市でも、この社会資本が網の目のように張り巡らされているといいます。そこにいる人たちはシニアだけではなく、孤児であれ障害児であれ非常に安心して暮らせる街が形成されているのです。そうした、見えざる社会資本をつくる動きが出てきています。その起点になるのが、例えば大学であり、いまひとつは、「社会的企業」ではないかと考えられます。 社会的企業とは、営利団体でありながら、現実の社会の問題を解決するために、社会的責任をより明確なものにするという企業のことです。一般の営利企業と現在のNGOやNPOの境目の存在です。まず企業的なNPOの例として、六甲アイランドで竹中ナミさんが立ち上げたNPOの「プロップ・ステーション」があります。そこでは例えば、寝たきりの障害者で体がほとんど動かない人が、コンピューターが使えるようトレーニングをし、図案を作成する作業をしています。そして現在の市場でも、十分競争していけるものを生産しようとしています。竹中ナミさんは、われわれが総合リハビリテーション学部を立ち上げるときに大学に来て講演をしてくれました。彼女のもとで働く障害者たちは、税金を払っているという話をされていました。障害者が税金を払うなどというのは、とんでもないという当時の非難がありました。それに対して、彼らは働き、税金を払う生活をしたいのだと、反論したということです。私もプロップ・ステーションで働く何人かの方と会いましたが、ラグビーで背骨を折ってまったく身動きができず、口しか動かせない方が、朝9時から仕事をして素晴らしい作品を描いて帰っていく姿を見ました。社会的企業とはちょっと違いますが、NPOを維持するための利益もあげ税金も払っており、一種の企業活動に近いものと言えます。 次に、NPO的な企業つまり社会的企業の例です。世界で最も貧しいと言われる国バングラデシュでの事例です。この国は、北海道の2倍くらいの土地に、日本の人口と同じくらいの人々が生活をしています。日本からのODAがいくら入っても、豊かにならないのです。援助された金額の80パーセントは、本来の目的のために使われるまでに消えてしまいます。誰かが、横流ししてしまうのです。実際に使われる予算は、その20パーセントにもならなのです。小学校も出られない人が、たくさんいます。そんな中で、彼らの中から立ち上がったのが、最近新聞にも出ていましたが、ムハマド・ユヌスさんという方です。この方はチッタゴン大学の教授でした。「グラミン銀行」というものを立ち上げました。農村銀行という意味です。 バングラデシュでは、農民の主婦はこれまでは一般には働かないことになっています。イスラム教では、女性は外で働くことを良しとしないからです。しかし、彼女たちは貧しいので何かしたい。でも、ちょっと鶏を飼おうとしても、2,000〜3,000円くらいのお金すらない。そうした主婦に、このグラミン銀行はお金を貸すことを始めました。担保なしで、30〜40パーセントの高い金利ですが、小額の貸付をしてくれます。連帯責任ということで5人一組に貸し、一年後に返すという事業です。その金で鶏を10羽飼い、卵を産むとそれを売ったお金で学用品などを買ってやり、やっと子供を小学校へ行かせることができます。一年後に訪ねましたら、鶏は50羽あるいは100羽ぐらいになっていました。そうなると、40%の金利くらいは返せます。現在、バングラデシュでは450万人くらいの女性が、このグラミン銀行からお金を借りて小さな仕事を始めています。グラミン銀行自体も非常に収益を上げ、どんどん広がっています。援助ではなく、自立です。働くことがうれしいという感情と、自分の力で金儲けをしたいというみんなの気持ちをうまく利用しながら、地域社会の在り方を変えようとしている実例です。われわれが逃れることができない歴史の必然から生まれた今の社会の中にあって、それを利用しながら社会を変えていくという方法です。このグラミン銀行はその好例です。 国という枠を越えた地域間交流が 今年の1月に、アジア太平洋研究センターの招きで、韓国の若い研究者が、われわれの共同研究に参加するためにやって来ました。彼は日韓の地域間交流の話をしてくれました。その時に出たのが、長崎県の対馬と釜山の交流の話です。今、対馬と釜山では、観光客が行ったり来たりしています。韓国から介護支援の人たちも、やって来ているそうです。将来はそうしたことを、制度化したいということでした。今や日本海は、「闘う海」から「共存の海」になっているというのです。鳥インフルエンザの時も、中国東北地方から韓国に鳥がやってきて、九州に上陸したのですが、彼らが互いに情報開示と交換をしていたため、正確な情報が対馬に知らされたということです。今まで日韓の間では、こうした交流は全くありませんでした。国を超えたつながりが、できているのです。対馬と釜山のように、このポートアイランドも、外国の都市と結べないかと思います。国を飛び越えて、地域同士で結びつき合うことができるはずです。 「人間の安全保障」という考え方があります。1998年に、当時の小渕恵三首相が、初めて国会でそして国連でも披露した考え方です。安全保障というと必ず軍事問題の話になりますが、あらゆる人間、一人ひとりの人間に注目して、各自の弱い部分を補っていこうというものです。そうした人間の安全保障という考え方に立てば、それを地域間に関する新しい考え方にまで、発展させることができるだろうということです。ですからここでの安全保障というのは、グラミン銀行の例のように、個人の弱い部分を補うと同時に、働く能力を高めるということにもなります。われわれ日本人は人類で初めて、格差問題を指摘されながらも、国民の大半が中産階層だと言われるような社会をつくりました。これは、われわれの素晴らしい文化遺産です。次の社会では、世界の人々が日本に住みたいという、世界中の人々がポートアイランドに来たいという、そういう文化を造り上げて、それを今度は世界に発信することだと思っています。そして最後に、伝統的地域文化は大事ですが、時代は変わっていきます。今、地域が中心となって多様な国の文化を取り入れながらどんどん変わっていくべきだということを、未来を担う若者に対するセッメージにしたいと思います。 |


今日は、大きく分けて3つのことをお話したいと思っています。まず最初は、神戸から世界を見るということはどういうことか。私たちはこれまで、国対国の視点から日本はどうかと考えることが一般的でした。しかし、最近私は日本から見て世界はどうなるか、神戸から見て世界はどうかと、考えてはと思うようになりました。というのは、外国の、特に中国や韓国の学生と日本の学生が一堂に会して、一緒に議論をすると、日本の学生が決定的に発言できなくなってしまう場面に出くわすことがあります。中国や韓国の学生はそれなりに、これは語弊がある言い方かもしれませんが、「国家主義的」な歴史観によって教育を受けてきています。日本の学生はそういう教育を受けていないものですから、自己主張ができず、一方的に言い負かされてしまうのです。もちろんここで、「国家主義的」なものの復活を言っているわけでは勿論ありません。
教室では学生に、外から等身大の自分たちの姿を見てみようということをよく言っています。団塊の世代及びその前後の人たちは、日本人はとにかく過去に「悪いこと」をしたと思っているだけでなく、日本は力がなく貧しい国だという観念が消えていません。今の若い人は、生まれた時から豊かな時代に育っているので自国に自信を持っているかというと、やはり年配者と同じく、日本はとても小さい存在だと思っている人が多くいます。これは大きな誤解です。世界から日本を見ると、経済力ではアメリカがトップですが、それに次いで世界2番目で巨人のような大きな存在です。そうした事実を、われわれは認識する必要があるだろうと思います。一昨年、アジア太平洋研究センターの招聘で、韓国の総領事が講演に来てくれました。彼は、韓国人は日本を、自分たちのGDP(国内総生産)の8倍を持つ巨人のように思っているのだと言いました。われわれ日本人は、うぬぼれではなく、世界に対して自分たちがどのような影響を与えているかということを知る必要があります。他国に何か言われたからといって同じように相手とやり合っていると、ますます相手を窮地に追いつめ、その偏狭なナショナリズムを高揚させていくように思います。
日米構造改革会議のなかでは、当時われわれ日本人はグローバル・スタンダードに合わせなければならないと言うのが、合言葉でした。しかしそれは、当時の外国からではなくて日本発の言葉だったのです。そうして、日本は米国を何とか納得させるような形で、市場を開放したり、企業の在り方を変えたりということを決めていったのが、日米構造会議、構造協議というものです。その要求を日本が呑んで、このあたりから日本の経済成長がとまりました。
日本の若者は争いをしないという、世界的な評価があります。皆さんも、わが国の犯罪白書をご覧になったらお分かりになると思います。数年前、米国の犯罪社会学者が書いた『暴力と殺人の国際比較』という本が、話題を呼びました。そこでは、戦争と若者の殺人数を関連させて比較をしています。日本の若者による殺人は、極端に低いのです。そこでは、日本社会は人類の成功物語だとさえ述べられています。成熟社会の一つのモデルとして、日本の若者の殺人数の低さというものが世界では注目されています。しかし、われわれ年配者からみると、それだけで今の日本の若者は、人間としての尊厳を維持できているのかという疑問があります。現在の若者はニートやフリーターに象徴されるように、自分の努力ではどうしようもない社会の構造的な問題に直面して、自分のプライドさえ保てないような生活を強いられているという側面があるからです。