2010年2月
Be human before being a tennis champion!in Focus

神戸学院大学のSocial in ~地域社会とともに~
Be human before being a tennis champion! 神戸学院大学テニス部総監督 大西 哲夫

勝つことにこだわり続けた現役時代を経て

1部昇格し、喜ぶ部員たち(2005年)
1部昇格し、喜ぶ部員たち(2005年)

大西総監督は1971年卒業(法学部)の大学OBである。現在、大学の学術情報センター事務部長を務め、その所管業務は、図書館や情報処理、教員の研究支援、国際交流など多岐にわたっている。普段は人懐こい笑顔が良く似合う大西監督だが、ひとたびラケットを握りコートに立つと、たちまち「鬼に変身する」という。歴代の学生たちは、当然のように「鬼監督」と名付けた。

学生時代は「自分でもあきれるくらい」にテニスに没頭し、身体を鍛え人の何倍も練習した。現役当時はとにかく「試合に勝つこと以外に考えなかった」という。そうして、数々の大会で優勝の栄冠を何度も手にした。

練習の厳しさは指導者になっても変わらない。「若い頃は、俺に勝ってみろ!と言って指導していました」と笑い飛ばす。しかし、その気迫こそが創部間もないころ弱小だったテニス部を、現在の関西大学リーグの強豪校となるまでに育て上げたのだ。しかし、指導者となってあらためて感じることは、「勝負の本質は、その前の行動にある」ということ。それは「何事にも一生懸命に取り組む姿勢」だ。

勝負の前になすべきこと

大西監督は、「一生懸命」の基本となるのが礼儀や普段の生活態度であると考えている。だからこそ挨拶やマナーには徹底して厳しく指導する。テニス部の練習コートには「Be human before being a tennis champion!(テニスチャンピオンである前に、ひとりの人間であれ)」と書かれた横断幕が常に掲げられている。テニス部の部訓である。

競技である以上、試合に勝つことは大切だ。だからといって、人間性を捨ててまで勝つことだけを求めるのがテニスの本分ではない。テニスというスポーツが、学生の個々の能力や可能性を引き出し、人間性を育む存在であるべきと大西監督は考える。だから「一生懸命に取り組む姿勢のない学生は、たとえ実力があってもレギュラーから外すこともある」という。テニスも、学業も、「一生懸命に取り組むこと」が結果として勝利に結びつき、テニス部全体のレベルアップにつながるというのだ。

学生から「鬼」といわれながらも、学生を一人の人間として育てるその姿勢に、温かな人柄がうかがえる。「楽天」の三木谷社長も少年時代に怖さと優しさを併せ持ったこの「鬼」の指導を受けた一人である。

大学とフィリピンの友好のシンボル...『神戸学院カップ』

熱戦の模様が新聞で伝えられるなどフィリピンでも注目を浴びる「神戸学院カップ」
熱戦の模様が新聞で伝えられるなどフィリ
ピンでも注目を浴びる「神戸学院カップ」

『神戸学院カップ』というテニスの大会がある。学内でもあまり知られていないかもしれないが、開催地は神戸でも日本でもなく、フィリピンのマニラ市だ。フィリピンは東アジア圏のテニス強国。毎年2月に開催される大会は、デビスカップ代表選手も参加するフィリピンチームと神戸学院大学テニス部の選手が出場し優勝を争う交流戦で、レベルも高い。

テニス部では1995年から毎年2月に2週間のスケジュールでフィリピンに遠征し、地元の大学チームなどと交流試合を行うのが恒例になっている。「外国の強豪選手と試合するということは学生たちにとって貴重な経験です。技術面はもちろんですが、学生たちはこのテニス大会を通じて、技術以上に人間的にも多くのことを学んで帰ってきます。本当にうれしいことですよ」。いつもの人懐こい笑顔でそう話す大西哲夫テニス部総監督は、この交流試合の“生みの親”である。

こうした長年の深い交流が両者を強い絆で結び、テニス部では元フィリピン代表のデ杯選手だったソフロニオ・パラハン氏が特別技術指導員として、学生たちのコーチをつとめている。『神戸学院カップ』はいまや、ただテニスの交流試合というだけの枠を越えて神戸学院大学とフィリピンとの友好のシンボルになっている、といってもよい。

テニスを通じてつながる地域、そして世界へ。

第12回レッドベレーズ交流会

大西監督は、兵庫県テニス協会理事長や日本テニス協会評議員など多くの要職を兼務している。しかし、立場や肩書きは異なってもテニスに託す想いは一つだ。「テニスを楽しみ、テニスに学ぶことは何も実力のある選手だけの特権ではありません。テニスや、テニス部を通じて世の中の役に立てるようなことを企画し進めて行きたいと思っています」。テニスへの情熱は尽きることがない。

たとえば、NPO法人を通じて始まった「阪神間聴力障害者テニススクール(レッドベレーズ)」での指導はもう17年を数え、いまもなおテニス部のOBたちが指導を続けている。

また、スポーツを通じた地域との連携行事の一環として、大西監督はプログラム・ディレクターとして「神戸学院大学ジュニアテニス強化プロジェクト」を新たに立ち上げた。「次代を担うジュニア選手の育成、強化」を目的とした年間20回のテニススクールで、テニス部のコーチや学生、OBらがアシスタントコーチを務める。「コーチ役の学生も真剣に教えることで逆に多くを学んでいることに大きな意義がある」という。

そして、もちろんジュニアに対しても大西監督の指導は変わらない。「まずは、大きな声で挨拶する習慣からです。そして、ご両親など周囲の方々への感謝の気持ちを忘れないこと。テニスはそれからです」と話す。

このプログラムは、地元をはじめ県外からも数多くの応募があり好評を博している。早朝練習にもかかわらず、遠くは滋賀県や淡路島からの参加者もいる。参加者は、ただ「勝つ」だけにとらわれない、テニスの面白さを教えてくれる大西監督の指導を慕う子どもや保護者たちである。

有瀬キャンパスのテニスコートでラケットを振る大勢の子どもたちの姿は、いまでは日曜日の早朝の風景だ。全日本ジュニアの選手をはじめ、子どもたちはみんな一生懸命にボールを追いかけている。このジュニアテニススクールから、全日本を代表する選手が生まれる日はそう遠くなさそうだ。そんな話をしている大西監督はいかにも楽し気である。

テニスを通じ、勝負にこだわりつつも人を育て、地域との連携や国際交流にも携わる。そして、事務部長としての職責に多忙を極める大西監督。大好きな山登りにはまだ当分行けそうにないと愚痴もこぼすが、「学生や子どもたちの成長する姿に支えられています。これからまだまだがんばりますよ」と語る表情は、学生にも負けない若々しい気迫に満ち溢れていた。

子どもたちはジュニアテニススクールで、技術はもとより、マナーや感謝の気持ちなど多くのことを学んだようだ。このなかから、全日本を代表する選手が誕生するかもしれない。
子どもたちはジュニアテニススクールで、技術はもとより、マナーや感謝の気持ちなど多くのことを学んだようだ。このなかから、全日本を代表する選手が誕生するかもしれない。

子どもたちはジュニアテニススクールで、技術はもとより、マナーや感謝の気持ちなど多くのことを学んだようだ。このなかから、全日本を代表する選手が誕生するかもしれない。

プロフィール

1971年3月神戸学院大学法学部卒業。同年9月に同大学事務職員として着任と同時にテニス部監督に就任。学術情報センター事務部長。
1977年から2005年まで地域民間テニスクラブでジュニアテニスの指導にも携わり、全日本ジュニア選手らを輩出。2005年、兵庫県テニス協会理事長、関西テニス協会常任理事、日本テニス協会評議員に就任。同年行われた岡山国体と2006年兵庫国体では、テニス競技兵庫県総監督として2年連続総合優勝を果たす。このほか、1985年から神戸市、関西テニス協会、兵庫県テニス協会のジュニア海外遠征(ラトビア共和国、上海、フィリピン)の団長、監督を務める。文部科学省認定スポーツA級指導員。

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