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人文学部の水本ゼミ生が「学童集団疎開70年記念式」を盛り上げました

広報グループ

約250人の児童の前で講演する中平さん

約250人の児童の前で講演する中平さん

水本ゼミが制作した「ビデオレター」に見入る参加者

水本ゼミが制作した「ビデオレター」に見入る参加者

式典後の記念撮影に収まる学童疎開体験者

式典後の記念撮影に収まる学童疎開体験者

お好み焼き店「やよい」のママさんも同行してくれて、名物「グッドライス(そばめし)」の実演試食会も開催しました

お好み焼き店「やよい」のママさんも同行してくれて、名物「グッドライス(そばめし)」の実演試食会も開催しました

 人文学部水本ゼミはキャンパスを飛び出し、神戸市長田区の新長田地区で、地域の方々と共にさまざまな勉強をしています。今回は、長田区(当時は林田区))の旧二葉国民学校の学童集団疎開体験者が10月31日、疎開先の鳥取県八頭町船岡地区に“里帰り”し、公民館で開催される「学童疎開70年記念式」と、船岡小学校で行われる「平和学習会」に出席する行事について、町から依頼を受けて全面的に支援してきました。

 終戦前年の昭和19年8月から、政府は学童の安全を守るため、 東京、名古屋、大阪、神戸など全国 13の大都市や、軍需産業がある工業都市に住む学童(最初は3〜6年生)を、半強制的に地方へ疎開させました、地方などに親類などを頼って避難する縁故疎開が原則でしたが、戦況がそれどころではなくなったわけです。翌 20 年春には京都や呉なども疎開対象に加わり、東京などでは1、2年生まで疎開するケースもありました。当時の神戸市は人口100万を擁し、最大の港を抱えているうえ、鉄道の要衝でもあり、加えて造船、航空機メーカーが存在し、米軍機の攻撃のマトとなる条件がそろっていました。

 水本ゼミは廃校になった神戸市立二葉小学校で、廃棄されたごみの中から、貴重な「集団疎開名簿」や「縁故疎開名簿」を発見したことから、この集団疎開に関わり始めました。資料を整理し、その結果を「まちの文化祭2012」に展示したことがきっかけで、学童疎開経験者ともお知り合いになり、今回の70年式典のお手伝いをすることになりました。

 当時、兵庫県内の国民学校の多くは丹波、但馬、淡路島など県内に疎開しましたが、隣接の岡山、鳥取や四国にも避難しました。二葉国民学校は昭和19年9月、6年生が若桜村、5年生が智頭村、3年生61人が船岡村と振り分けられ、いずれも鳥取県に疎開。当時9歳だった3年生は、ひもじい思いや、親元が恋しくて寂しかった体験はあるものの、現地の方から親切にしてもらった記憶が残っていて、交流を続けてきました。ゼミ生は「今回が記念式典の最後」と知り、これを支援するため、記念式会場には、男子児童37人の引率教諭だった横山貞二さんが50周年式典に寄せた手紙や、昭和19年から20年にかけての「学校日誌」を展示。また、水本ゼミが制作した、3年生女子の引率教員だった岩井秀子さんからのビデオレターを上映し、感動を呼びました。
 
 船岡小学校体育館での平和学習会会場には、当時の3年生がいまだに疎開先の八頭町と交流を続け、今は小学校同士の交流が続いていることや、阪神・淡路大震災の時には、現地から長田に多額の義捐金が寄せられたこと、当時の疎開児童の暮らしぶりなどを展示物で紹介。学童集団疎開と阪神・淡路大震災をきっかけにした「八頭町と長田との絆」について院生の中平遥香さん講演しました。平和学習会には、船岡小児童だけでなく、八頭町内の全小学校の6年生児童も含め、計250人が参加しました。
また、船岡公民館脇の広場では、ゼミ生が日ごろ学びの場にしている長田区の物産展を開設。ご当地商品のバラソースや鉄人カレーなどの物産を販売。隣では名物の「グッドライス(そばめし)」の実演試食会も行い、式典を大いに盛り上げ、感謝されました

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